なつかしの学生寮

「小千谷学生寮の思い出」
                       昭和49~51年度 松井周之輔

 私が小千谷学生寮に入寮した昭和49年は、新入生が13名と多い年でした。新入生13名は結束もよく、あまり先輩に気を遣わずに寮生活を我が者顔のようにしていたためか、先輩の方々からは、生意気に思われていたようで、時々注意された記憶があります。私などは、大学のサークルが民謡研究会で、寮に帰ると下手な尺八や民謡などを奏でていたため、先輩からも松井の民謡はうるさくて困る、などと叱られたものでした。 また、当時は、麻雀が盛んで、大学から帰ると待ってましたとばかり、ほとんど毎日のように卓を囲み、勉強もおろそかになってしまうことも度々でした。今は、そうではなく、皆、一生懸命勉強に励んでいると思います。
 
特に、衝撃だったのは学生寮祭でした。酒に酔って、先輩が見せる数々の一発芸や歌などのパフォーマンスに、小千谷学生寮の有り様をまざまざ見せつけられるとともに、楽しさを十分に味わうことができました。
 また、山梨県昇仙峡への学生寮の旅行も先輩方と親しく交流できた良き機会でした。  私の大学生活にとって小千谷学生寮で過ごした2年間は、青春を謳歌した時期であり、今でも鮮やかに青春の1ページとして残っているかけがえのない思い出であります。


            「小千谷学生寮の想い出(1)」  昭和46~  S.S.

 急行の切符が買えずに普通列車を高崎で乗り継いで7時間。新入生の友人と恐る恐る入った学生寮の玄関。佐藤寮母さんの笑顔でほっとしたのもつかの間、新入寮生歓迎会が開かれました。まだ18歳。でもテーブルの前に置かれたのは味噌汁のお椀に溢れそうにつがれた酒。死ぬような思いで飲み干すと、さらに先輩から2杯、3杯。トイレに駆け込んで吐いて来てまた1杯。。。つぶれていると竹刀を持った3年生から「新入生は青梅街道マラソンに行くぞー。」の声。夜の11時。。。それが私の学生寮の1日目でした。
 当時は学生運動の最後の火が燃え上がっていたころで、寮のいくつかの部屋に様々なセクトのヘルメットがころがっていました。今考えると、戦後の日本を引っ張ってきたそれまでの一貫した価値観と、市民権を得つつあった多様性とのぶつかり合いの時期だったように思います。寮生活も1、2年で様変わり。お椀の酒も竹刀も姿を消し、私たちの後輩には、数年前の話が浦島太郎の世界のように聞こえたはずです。学生寮で起こった多くの出来事。体験したもの、語り継がれているもの。。。このスペースをお借りして、少しずつ書き足していきたいと思います。